Thursday, January 8, 2015

Steve’s Testimony in Japanese

素晴らしい期待

ある道を下って行った時、のちにそれが自分の期待していたものとは違っていたことに気づいたことはありますか?

私はかつてサッカーをするために生きていました! それはとてもエキサイティングで、止まることなくプレーが進む、私がとても得意とするスポーツでした! 1970年代、私はジョージア州アトランタで高校時代ともにプレーしたチームメートたちを追い、クレムソン大学 (Clemson University) へと進学しました。私の最も仲良しな友達たちがそのチームにいたのです。私は自分が描いていた夢の中を歩んでいました。しかし、そのとき何かが私の生活の中で欠けていて、私はそれが何なのか認識できませんでした。

私は大きな期待を持ってその年を迎えました。しかしすぐに、来る日も来る日もベンチに座って友達らがプレーする姿をただ見ているという状況に気づき、その期待は間もなく崩れ去り、焼け落ちてしまいました。神様が私の注意を引くためにこの機会を用いておられるとは、知りもしませんでした。その頃の私は自分でも驚くほどに、コーチに向かっては怒り、またチームメートに対しては嫉妬の念に駆られていました。反対に、私がプレーする機会を得たときには、結局それは1年生のときたった一度しか訪れませんでしたが、とても幸せな気分になりました。なぜ、私の感情は自分の置かれた状況のためにこうも激しく揺さぶられていたのでしょうか? それは、私が自分自身の神だったからです! 物事が思い通りにいったとき、自分の欲しいものを手にしたとき、私は幸せでした。物事が思い通りにならないとき、私は怒り、落ち込み、そして他の人を妬みました。この自己中心性を聖書は罪と呼んでいるのです。そして、この罪が私を神から、そして本当のいのちから離れさせていたのです。私はこの自己本位からの自由と、結果として生じる罪の意識が、イエス・キリストを通してのみ来るものだということに気づきました。

ある学生たちが私に、神様が私のことをあまりにも愛してくださったので、イエス・キリストがたくさんある私の罪すべてのために、十字架の上で死んでくださったことを教えてくれました。そして、イエスは自らが神であることを証明するため、奇跡的にも死からよみがえられ、今もなお天におられます。聖書は、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」と言っています。私は19歳のときこの無償の賜物を受け取り、私の人生の主権を神様に完全に明け渡しました。

イエス・キリストは、40年以上にわたって私の期待を遥かに超えてこられました! 彼は私に、自分以上に他人を愛する力を与えて下さいました。そして私は、いま自分が死んだとき天国に行くことを知っています。

あなたは、個人的に神様を知りたいと思いますか?そして自らが天国に行くことを知りたいですか?質問などございましたら、ぜひご連絡ください。

Steve S. Nelson

steve.nelson@gcmweb.org

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